2022年1月25日火曜日

オマール海老のポワレ ‐いじめを添えて‐ 後半

地面に落下するまで、空気抵抗を考えなければ、約二・八秒。俺の頭脳は、とっさにt=ルートg分の2hの計算結果をたたき出した。

そうだ俺は頭脳明晰で容姿端麗。薔薇色の勝ち組ではなかったか? 

落下までのたった二・八秒の間に別の人間の記憶が蘇る。これは願望なのか。

否、願望ではない。本当の俺だ。

俺はいつでも人気者で、クラスの中心的人物。明るくて誰にでも好かれ、トップクラスで大学を卒業後、指折りの企業で将来を約束されたー

コンクリートの地面の上に、俺は彼を見た。いつも俺にいじめられて、ついには学校へ来られなくなってしまった彼。

実際に見たのか、残像なのかは分からない。

「ごめんな」

俺もみんなの期待に応える事にいっぱいいっぱいだったのだ。ストレスを発散の的にして本当にごめん…

 

地面が迫ってきて、身体が叩きつけられる寸前で、ビービーとビープ音が鳴った。

 

 自殺未遂・反省・謝罪あり。VRを操作していたAIはその項目にチェックを入れた。

 

 西暦二千三十年、十代から二十代のいじめによると認定された自殺数は年間六千人を上回り、少子高齢化が進む中、国家を揺るがす大問題へと発展した。国会では「いじめによる自殺者0」を目標に掲げた法案が整備され、

「いじめ防止対策庁」という、名前そのままの庁が作られた。何から手をつけてよいかまったく分からない、初代大臣は今から十年ほど前、二千二十一年に肝いりで発足された「デジタル庁」と手を組んだ。

人工知能とバーチャル・リアリティによる、「いじめられ体験」である。AIにありとあらゆるいじめパターンデータを学習させ、それをVRに投影することで『いじめられ体験』をしてもらい、いじめをなくそうという御上独特のあさはかな考えである。

『いじめられ体験』被験者数一万人。

体験による自殺選択数、七千百九十二名。他への危害・殺人選択数、一千九百九十六名。自殺未遂数、六百八十三名、他・精神障害等、百二十九名。

内、反省の弁を述べたもの二百五十七名


報告を受けた『いじめ防止対策大臣』は苦い顔をした。

「何十億という予算をかけて、反省の弁を述べたものはたった二・五パーセントだというのか!」

大臣は報告書を壁に投げつけた。

「はい、被験者数一万人。約七十%が自殺を選び、殺人及び殺人未遂が約二十%、途中で気付いて自殺未遂は約七%という結果…」

「もうよい!」

「となり、反省数は二・五七%となります」

人工知能の秘書、ハルはそう続けた。

「この企画は失敗だな」

「被験者は一万人、結果が出ておりますので失敗である意味は分かりかねますが、大臣がそうおっしゃるのであれば、失敗なのでしょう」

ハルには忖度機能が備わっている。使用する側を思いやる心と言えば聞こえはいいが、つまりは使用者を怒らせないように学習させているだけだ。

「私はいじめなぞしたこともなければ、いじめられたこともない。その私がどうして『いじめ防止対策庁』の大臣等を努めなければならないのか」

大臣は嘆いた。

「いじめをした方は大抵がいじめをしたという自覚はございません。ですから、いじめられ体験から反省の弁を引き出すのは難しいかと存じます」

ハルの小さい声は、ハル自身からの大臣への昼食の時間を告げる音楽機能にかき消された。

 

トントンとノックの音が聞こえ、コックコートを纏った料理長がワゴンを押して入ってきた。

皿の上にはホタテとエビがバランスよく置かれ、周辺には季節の野菜が見事なぐらいに綺麗に盛り付けられている。素晴らしく良い香りだ。

先程までの不機嫌顔はどこへやら、大臣は上機嫌でエビをカットすると口へと運んだ。

「まずい!!」と顔をしかめ、料理長に向かって「これは何だ?」と聞いた。それには何だというより、何のつもりだというニュアンスの方が強かった。目利きで、腕も抜群の料理長がこんな不味くエビを仕上げるとは、にわかに信じ難い。

「オマール海老のポワレ」でございます。料理長は涼しい顔で答えた。

「それは見れば分かる。私の好物だ。だが、いったいどうしたというのだ。この味の悪さは?身はパサパサだし、ソースの味で胡麻化してはいるが、俄かに生臭い」

「はい、本日は少し趣向を変えまして、『オマール海老のポワレ、いじめを添えて』で、ございます」

「い? いじめを添えて?」

「エビも仲間からいじめを受けます。大抵は縄張り争いであったり、餌の取り合いであったりですが、中には理由は分かりませんが必要以上のいじめを受けるものがおります。強いストレスを感じると、エビの中枢神経から人のコルチゾールと同等のストレスホルモンを体内に放出するのです。すると、身は固くなり、生臭くなります。中には、ストレスが高じると自分で自分のひげや肢を切ったりするものも現れます」

「なんでそんなエビを私に?」

「大臣が前にこうおっしゃっていたことを聞いたもので。『私はいじめというものが分からない。一度いじめというものを味わってみたいものだ』と」

「いじめというのは、こういう味がするものなのか…」

「ちなみに、必要以上のいじめはどういうわけか、豊かな土壌、つまり平和で餌の心配がないところで頻繁に起こるのだそうです」

「なるほど。戦後、我が国も平和で豊かになった。 AIに頼らず、人間として考えろということだな」

「私には難しいことは分かりません。ただ大臣の問題解決にお役に立てればと思った次第で」料理長は深々と頭をさげた。

「ありがとう」大臣は微笑んだ。

「大臣、がんばってください」というハルの言葉はまた、次の会議を知らせる音楽にかき消された。


前半はこちら オマール海老のポワレ ‐いじめを添えて‐ 前半


#小説 #いじめ 

 ©Mutsuki2022

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